2022/05/25

初めての沖縄旅行での体験談

みなさんこんにちは!総務部のHです。
今回のブログのご指名を受けて何を書こうかと悩みました。
そうしてるとテレビで沖縄返還50周年と云うニュースが
流れていたので、今回は私が初めて沖縄に行ったことを書きます。

返還後、しばらくして行ったのでパスポートは不要でした。
車は右側通行で、米軍の車があちらこちらに走行していました。
日本の車も左ハンドルが多かったですが、レンタカーだけは、
殆どが右ハンドルでした。
当時、沖縄ではほとんどの車にクーラーが付いていました。
その頃の日本では車を買ってもクーラーはオプションの追加注文
だったので、付いてる車はリッチやなぁ~と言ったもんです。

現在の沖縄市がその時はコザ市と言って、かなりアメリカっぽい
雰囲気の町でした。また、那覇市にも闇市がありバドワイザーや
牛肉やタバコなどが安く買うことができ、日本円とドルの両方が使用できました。
ホテルでの買い物は「観光戻税」と言った制度が
返還後30年間ありましたので、安く買えたのを覚えてます。

田舎のタバコ屋でタバコを買おうとしたら、地元のおばあさんに
話しかけられて、全く言葉が分からずに苦労した事もありました。

特に印象に残っているのが、返還6年後のときに観たニュースです。
車の通行が右側から左側へある時間を基準に、一斉に変更になったニュースを観ました。
当時コンピューターも無い時代に標識や
信号機やバス停などをお巡りさん、役人やボランティアの人々が
一斉に変え、事故などが多くあったと記憶しています。
準備など想像を超える大変さを想像しました。

沖縄から県内の島へ行く飛行機はジェットがボーイング737で、
それ以外はプロペラ機のYS11が飛んでいました。当時は滑走路が
短く、ボーイング747(ジャンボ)は降りる事が出来ませんでした。
YS11は今の観光バスの方が豪華です。パイロットなどのクルーが
座る席と客席はカーテンで仕切られてるだけで機体が傾けばカーテンが横へ
開いて操縦席が丸見えのまま飛び、荷物は網棚でした。
今では考えられないほど、のどか時代?でした。

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