ホームセンター事業部のSです
今日は上杉氏や伊達氏といった戦国ファンにとってはたまらない聖地山形県米沢市をご紹介いたします
ちなみに両家とも家紋は「竹に雀」です
鎌倉時代に長井氏が居館を構えその後1548年に伊達晴宗が本拠を米沢に移し
輝宗、政宗の3代で米沢城下が整備されました(政宗が生まれたのもこの米沢です)
1591年に政宗は豊臣秀吉の命で岩出山城(宮城県)に移ることとなり1598年には
上杉氏が会津120万石を与えられ、米沢には大河の主人公ともなった
直江兼続が配されることとなりました(前田慶次も上杉の家臣となりこの地に眠ります)
さらに1600年の関ヶ原の戦いでは西軍、石田側についた為上杉氏は米沢30万石に
領地を減らされることとなります
江戸時代に入ると後継者断絶による藩とりつぶしの危機もありましたが忠臣蔵でも有名な
吉良上野介の長男が養子として上杉氏を継承することにより危機を脱します
その後「なせばなるなさねばならぬ何事もならぬは人のなさぬなりけり」との名言でも有名であり
J・F・ケネディも尊敬した名君9代治憲、鷹山の治世をへて明治まで上杉氏は続くこととなります
米沢城の本丸跡地には現在上杉神社がありそのすぐそばには近代的な上杉博物館があります
是非ここでご覧いただきたいのが国宝、「上杉本洛中洛外図屏風」です
洛とは京都のことで、室町後期から江戸時代にかけて、京都の市街を描いた絵図です
ですので洛中洛外図というモチーフは数多く存在いたします
あまたある洛中洛外図の中の傑作がこの狩野永徳作の上杉本となります
織田信長が上杉謙信に送ったと伝えられており代々上杉氏の宝物となります
16世紀の京都の日常風景を描いた風俗画でもあり第一級の芸術作品でもあります
(貸出等や、メンテなどによりレプリカ展示の場合もあるようですので実物をご覧なりたい方は要事前確認)
さらにこの米沢城跡から1.5kmの位置には上杉家廟所があります
ここには上杉謙信含めその後の歴代の米沢藩主たちが祭られています
他にも小野川温泉をはじめとする米沢八湯、米沢牛や米鶴、雅山流をはじめとする地酒の数々
日本の原風景、ノスタルジー感をさそう山や川
例え歴史に興味が無くとも是非とも一度は米沢を訪れることを心からおすすめいたします